藤枝東高校の歴史 藤枝東高校 80年史 藤枝東高国語科通信「まざたん」より 藤枝東高教頭(45回卒)松本 泉

(6)校訓の変遷

至誠一貫


新体育館のステージ右側に「至誠一貫」の額が掲げられています。その材は本校通用門近くの欅(けやき)だそうです。昭和六十年に掲げられました(ちなみに新体育館の竣工(しゅんこう)は昭和四九年)。本校の校訓はどのような変遷を経て現在の「至誠一貫」となったのか。その歴史を、本校第二〇代校長小倉勇三氏の調査によって紹介しましょう。

志太中学校時代

初代錦織校長 新体育館のステージ右側に「至誠一貫」の
倉勇三氏の調査によって紹介しましょう。
学友会誌
昭和5年度
二代石井校長 至誠・努力 学友会誌
昭和6年度
四代溝口校長 一われら誓って忠良のみ民たるべし
一われら誓って善美なる校風を樹立すべし
一われら誓って心身を剛健にすべし
志太中学校
学校要覧
昭和18年度
誠をつらぬけ 志太中学校
学校要覧
昭和22年度

新制高校時代

志太高校 誠を貫け 学校要覧
昭和22年度
藤枝高校 - -
藤枝東高校 藤枝東高校 誠を貫け 「誠」創刊号
昭和31年度
まことをつらぬけ 「誠」3号
昭和33年度
至誠一貫
努力第一
精力集中
学校要覧
昭和58年度

若干の異同はあるものの、「誠」「貫く」、これが本校の校訓の根底だということがわかります。
初代錦織(にしごり)校長は校長就任にあたり、「至誠一貫、新興の意気を発揚すべし」との理想を掲げました(『学友会誌』3号 昭和5年度)。つまり、建学当時から「誠を貫け=至誠一貫」が校訓とされていたのです。

校歌には1番、2番、3番のいずれにも「至誠(まこと)」の言葉が入っています。1番「至誠のこヽろ芳しく」。2番「至誠のつとめ貫きて」。3番「至誠のいさを積みなして」。校歌制定の経緯で触れましたが、制定の時期が大正15年(開校から3年目)だとすると、錦織校長は作詞を依頼する際に、「誠」という校訓の言葉を入れるように希望したのかもしれません。


【注】 戦後の学制改革により、中学校は新制高等学校にかわりました。志太中学校は昭和23年4月に静岡県立志太高校になります。翌24年4月には近くの藤枝高等学校(旧・藤枝高等女学校 現・藤枝西高校)と統合して静岡県立藤枝高校に、さらに昭和27年4月に藤枝東高校と藤枝西高校に分離しました。

【参考資料】『藤繚』第22号(1999年 3月 )

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