藤枝東高校の歴史 藤枝東高校 80年史 藤枝東高国語科通信「まざたん」より 藤枝東高教頭(45回卒)松本 泉

(1)開校まで

大正12年11月20日
文部省告示第449号をもって静岡県立志太中学校設立認可
大正13年4月7日
第1回入学式挙行(開校元年)
大正13年7月7日
校舎本館建築工事完成
大正13年9月6日
開校式挙行

明治以降の学校制度はたびたび変更されましたが、本校創立時期の大正期における初等・中等教育学校は概略以下のようなものでした。

  • 尋常小学校(六年制 義務教育)
  • 尋常高等小学校(二年制)
  • 中学校(五年制・男子のみ 尋常小学校・尋常高等小学校卒から入学)
  • 高等女学校(女子のみ)
  • その他実業学校(農業・商業・工業・水産など)

中学校はその後に続く高等学校・大学に接続する、所謂エリートへつながるほとんど唯一のコースとして位置付けられ、入学競争率も高くその準備のための勉強の過熱ぶり(受験教育)が社会問題にもなっていました。尋常小学校から中学校へ進む生徒の割合はきわめて少なく、本校創立の大正一三年、小笠郡では、男子の一五%が進学したにすぎませんでした。大半は高等小学校に進み、その後実務についたのです。当時中学校へ進学するものは「選ばれた人材」だったのです。
志太中学校創立前、静岡県には以下の九校の中学校がありました。( )はそれぞれの流れを汲む現在の高校です。

  • 静岡中学校(静岡高校)
  • 浜松中学校(浜松北高校)
  • 韮山中学校(韮山高校)
  • 掛川中学校(掛川西高校)
  • 見付中学校(磐田南高校)
  • 沼津中学校(沼津東高校)
  • 富士中学校(富士高校)
  • 榛原中学校(榛原高校)
  • 豆陽中学校(下田北高校)

そして大正13年、

  • 庵原中学校(清水東高校)
  • 浜松第二中学校(浜松西高校)

とともに、

  • 志太中学校(藤枝東高校)

が開校したのでした。つまり、志太中学校は静岡県下で最後につくられた中学校だったのです。

ここ藤枝の地(当時は藤枝町)に中学校を設置したいという希望は志太郡下の人々にとっては悲願であり、各町村長も設置認可に向けて多大な努力を惜しみませんでした。地元藤枝町は校舎敷地8000坪と金5万円を提供しました。また、焼津町他郡下の25町村からは金3万円、藤枝町有志48人からは合計金15万6千円の寄附があったということです。

【参考資料】『静岡県教育史』『静岡県史・通史編5』『学友会誌』第六号

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