本校の二大行事、千南祭と体育祭の歴史をみてみましょう。かつて体育祭と千南祭は「千南祭」として二学期にまとめて行われていました。昭和53年度より、一学期に千南祭、二学期に体育祭という今のかたちになりました。
昭和46年 千南祭で「夢の祭典」が始まる
平成16年度夢祭より
文化祭は本来「文化部の発表の場」です。これはどの高等学校でも同じです。しかし本校の千南祭にはもう一つ大きな目玉があります。「夢の祭典(夢祭=ユメサイ)」です。三年生によるクラスごとの演劇が行われ、生徒、職員、来校されるお客さん方が最も楽しみにしている行事となっています。キャストはもちろん、脚本から演出、大道具・小道具・衣装にいたるまですべて生徒だけの手になる、一大ホームルームイベントです。二年生の後半から脚本の構想が練られ、三年生になると新学期からホームルームのエネルギーはひたすら二ヶ月後の本番に向けられます。
今年の夢の祭典では、一年が出場しなかった。二年も、勇気ある(恥を知らぬ)二クラスのみにとどまった。例年、一年生はクラス全員で合唱をやり、ステージの前に陣取る三年生を、大いに楽しませる。私達、一年生の時のあの屈辱を思い出すと、いまだ何らかの興奮を覚える程である。ところが、いざ三年生になってみると、肝心な一年生が出ない。したがって代わりとして、二年生をコケにしたが、やはり一年生相手でないと、私の心の傷は癒(い)えないようだ。
毎年一年生はここで上級生の手荒い洗礼をうけていたようです。
高校生体操
平成16年度体育祭より
三年生の男子が上半身裸になって整然と、息のあった体操をする高校生体操。集団の入場から退場まで、すべてが見どころといっていい名物行事です。この体操が始まったのは、昭和四十年代の後半頃です。それまではいわゆる「組体操」が行われていました。約三十年の歴史があります。二年生が行う柔道体操も同じような歴史があります。
立て看板
平成16年度体育祭より
二年生が制作する色別の立て看板も昔から続いているものです。今の立て看板の大きさは八畳ほどですが、この大きさになったのは約三十年前からで、それまでは二十畳もの大きさがありました。大きさが今のように小さくなったのは、看板を松の木にくくりつける作業中に転落事故があったことが原因の一つだったようです。また、形にきりぬいて看板にしていたときもあり、松の木と同じ大きさの「仮面ライダー」が出現した年もありました。
フォークダンス
現在はありませんが、かつてはフォークダンスも種目の一つでした。女子生徒の数が現在と比べてきわめて少なかった時代でしたから、全学年の女子と三年生の男子がペアを組んだそうです。それでも男子生徒の数の方が多く、男子同士のペアもたくさんあったとか。大会終了後に大きなキャンプファイヤーを囲んでダンスを踊っていた時代もあり、「後夜祭」とよばれていました。各色で出し物などをして大会の終了を祝しました。
【参考資料】 生徒会誌『誠』第四八号(平成一六年)