戦後、本校サッカー部が全国大会に出場した回数です(平成17年1月現在)。内訳は次の通りです。
高校サッカー選手権大会 (21回) |
昭和31年~40年(連続10回) 42年 44年 45年 47年 48年 49年 55年 59年 平成9年 15年 16年 |
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全国高等学校総合体育大会 (11回) |
昭和41年~43年 46年 47年 53年 57年 平成10年 13年 15年 16年 |
全日本ユース大会 (4回) |
平成4年 5年 10年 16年 |
国民体育大会 (12回) |
昭和28年 30年~32年 34年 36年~39年 41年 43年 44年 (45年より県選抜チームとなる) |
戦後の全国大会優勝回数です。内訳は次の通りです。
高校サッカー選手権大会 (3回) |
昭和38・39年 46年 |
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全国高等学校総合体育大会 (2回) |
昭和41年 46年 |
全日本ユース大会 (2回) |
平成4年 10年 |
国民体育大会 (2回) |
昭和32年 41年 |
戦後初の全国優勝は昭和32年の静岡国体でした。本校はサッカー競技の主会場となり、全国から多数の代表選手が藤枝の地を訪れました。本校は福井農林、山城高(京都代表)、徳島商、関西学院、山陽高(広島)を破り、初優勝の栄冠を勝ち得ました。なお、二回戦の対山城高戦は天皇陛下をお迎えしての天覧試合でした。
それから6年後の昭和38年、昭和31年から連続出場を続けていた全国高校サッカー選手権で待望の全国優勝を果たします。翌年も優勝して二連覇の偉業を成し遂げました。
サッカー部元部長の山田良一氏は次のように語っておられます。
藤枝東高サッカー部の黄金期は、昭和37年度、38年度2年連続しての全国高校サッカー選手権大会優勝、39年度新潟国体準優勝によって見事に展開された。
(略)
更に41年度は全国高校総体(青森県)、大分国体、全国高校サッカー選手権大会(大阪)の三大会に優勝(三冠王)する偉業を果たした。
その後、42年度~44年度にやや沈滞現象もあったが、45年度選手権大会優勝、46年度インターハイ優勝、47・48年度と二年連続して選手権大会に準優勝したことは、黄金期永続の証左である。
日の丸をつけて国際大会で活躍した名選手も多数輩出しています。古くは昭和11年のベルリンオリンピックに参加した松永行、笹野積次選手。昭和39年の東京オリンピックと43年のメキシコオリンピック(銅メダル)には富沢清司、山口芳忠氏が日本代表選手として活躍しました。現役ではゴンこと中山雅史氏がフランスワールドカップで日本中を沸かせました。『サッカー六十年のあゆみ』には「本校が生んだ全日本代表選手」として15人の名が挙げられています。
【参考資料】『サッカー六十年のあゆみ』(昭和五七年)