35年前、昭和44年発行の『誠』に「進学について思うこと」と題した文章があります。筆者は生徒会長。終わりの部分を引用します。
今の高校は本当に、殺伐としたところだと思う。毎日勉強、それも大学入試の為の勉強に明けくれ、自分という一つの人間が、入り込む余地があまりにも少ないと思う。本当に体が伸ばせるのは、体育の時間ぐらいのものである。その体育も週に3時間しかない。又先生と話をするのは、一日に数分あるかないか。友達とも世間話をするのがやっと。
僕は毎日、大学へ入ったら、好きな事をしてやろうという気持ちで日々を送っている。
大学受験の制度が大きく変化した現在でも、本校の生徒にとってそれほど古さは感じない文章でしょう。特に最後の二行は、世の受験生であればだれでも持つ願いです。
藤枝東高創立からほぼ30年間の本校の進路状況の推移をみてみましょう。資料は各年度の『学校要覧』です。
年度 | 国立大学合格者数 | 私立大学合格者数 | 就職者数 | 卒業生数 |
---|---|---|---|---|
31 | 28 | 68 | 82 | 287 |
33 | 26 | 70 | 76 | 266 |
35 | 55 | 115 | 73 | 277 |
37 | 35 | 89 | 61 | 283 |
39 | 45 | 205 | 35 | 325 |
★40 | 95 | 264 | 49 | 408 |
41 | 101 | 275 | 57 | 424 |
43 | 97 | 318 | 40 | 425 |
45 | 106 | 358 | 12 | 346 |
47 | 114 | 273 | 7 | 315 |
49 | 117 | 293 | 2 | 336 |
51 | 128 | 269 | 3 | 334 |
53 | 149 | 332 | 5 | 336 |
※55 | 151 | 264 | 2 | 336 |
57 | 150 | 230 | 5 | 379 |
※昭和53年度から、共通一次試験(現・大学入試センター試験)が開始。
本校がいわゆる「進学校」として明確な方向と、それに見合う実績を残し始めるのは昭和40年(★)からです。それまでの一学年六学級(定員300人)から、38年度入学生から一学年八学級(定員400人)となり、百人もの生徒増となりました。この年度の入学生が卒業したのが40年度。国公立大学の合格者は倍増、私立大学合格者も1.3倍となりました。それ以降、国公立大学合格者はほぼ毎年百名以上を数えるようになったのです。
本校の進学者の急増は全国の大学進学率と見事に軌を一にしています。昭和30年から40年の高校卒業生の大学進学率は横ばいで、8%前後を変動しています。ところが、昭和40年を境に、急カーブを描いて上昇、まさに右肩上がりで増加し、昭和50年には27.2%、ほぼ三人に一人が大学に進学するようになりました。それに伴い30年代には卒業生の二割から三割近くを占めていた就職者は激減していきます。
全国の進学率は昭和50年をピークに漸減していき、平成2年には24.6%まで下がりました(平成3年からは再び急上昇、平成15年は44.6%)。しかし、本校の「進学校」としての姿勢はもはや揺るがず、県下有数の実績をあげる名門校としての地位を不動のものにしていきました。